日本民俗学の祖と言われる柳田國男の「遠野物語」。かねてから興味はあったのですが、読書会の課題本に指定されたのを機に読んでみました。
    ちなみに、せっかくなので初版復刻本で読んだのですが、時代がかった文章が遠野物語の雰囲気に合っていて、個人的にはとてもよかったです。

    元々、妖怪とか物の怪とかの話が好きなので、読む前は河童とか座敷童とか、そういう話に興味があったのですが、読み終えた私の心に残ったエピソードランキングは、

    1位    番号    11
    2位    番号111
    3位    番号    19

という、見事に妖怪の出てこない話ばかりでした。

(参考)
    番号    11:嫁姑が不仲の家で、息子が母親を殺す話
    番号111:デンデラ野(六十を超えた老人が追いやられる場所)の話
    番号    19:見慣れない茸を食べた一家が亡びる話

    読書会のテーブルでは、山男とか山女とかの話に興味を持たれた方が多かった印象です。私は「遠野物語」を完全に日本昔ばなしモードで読んでいたので、山男も天狗も河童もふんふんと読んでいたのですが、皆さま、この伝承の背景にはこういうことがあったのではないかということに思いを巡らせていらして、私はひたすらなるほど~と聞いてました。

    興味深かったのは、「書くこと」「形にすること」についての話でした。
「遠野物語」に収められている話は、基本的に、柳田國男が佐々木喜善から聞いた話です。佐々木氏が語った話も、佐々木氏本人が体験した話はほとんどなく、昔からの話にせよ、最近の話にせよ、佐々木氏が誰かから聞いた話です。
    これらの話は、「遠野物語」として書きとめられなければ、いずれ消えていったか、あるいは違う形に変わっていったかしていたのではないか。文章にして形にするということは、後世に残すことである一方、語りが変化する可能性をなくしてしまうことでもあるのではないかという意見は、確かにそうだと思いました。
    書きとめることとは少しずれますが、たとえば河童という言葉を聞いたとき、現代の私たちが思い浮かべるのは、おおむね同じ姿だと思われます。私たちが想像する河童の姿は、江戸時代くらいに作られたものだそうですが、絵に描かれたことによって、みんなのイメージがそこに統一されていったということでしょう。絵にはそれだけの力があるということだと思います。冗談まじりに、現代の妖怪の姿は水木しげるが作ったという話を聞いたこともあります。
    河童の姿が一つに集約されていったように、遠野において語られていた話も、「遠野物語」に書かれた姿に集約されていったという面はあるのだろうと思います。繰り返しになりますが、そこに書かれなければその語りは忘れ去られた可能性もあるし、「その時代にそういう語りがあった」という記録を残すこと自体の意味ももちろんあると思っていますが。

    読書会の中で、遠野に興味を持った、行ってみたいという声がありましたので、最後に、遠野の旅行記として、北大路公子さんの「いやよいやよも旅のうち」をご紹介します。これを読んで遠野気分を味わえるかは正直自信がないのですが、でも、公子さんファンの私としては、こんな絶好の機会を目の前にして紹介しないわけにはいかないという気持ちなので、紹介させてください。岩手編は、宮沢賢治と遠野がメインです。